あくび指南所 2号店

ほとんど買い物メモです。

おでん売り

Life is beautiful: 日本語の進化について、一つの実験をしてみる
から始まった一連のおでん、じゃなかった日本語の話題。
そこのコンビニで…… - 一本足の蛸
「そこのコンビニでおでんが売っている」はおかしい(違和感がある)という意見に対する「一本足の蛸」のtrivalさんの反論がちょっと気になったので、自分なりの解釈で再反論してみる。

trivalさんの主張は、「おでんが」を動作の主体ではなく、文の主題と見れば、文法的に問題ないというものだが、「おでんが」を主題と見ても、「売っている」は「売られている」でないとやはりおかしい。「〜ている」は主題の動作の継続or状態の存続だから、「売る」の客体である「おでん」を主題とするなら「売られる」という状態であって、「売る」という動作の継続ではない。


付け加えると、「コンビニで」も違和感を感じるポイントだと思う。場所を表す助詞には「に」もあるが、「に」に比べて「で」は動作・作用など動的な意味あいが強い。だから、「コンビニで」と文が始まると、読者は動作についての話題が始まることを予想し、「おでんが何かを売っている」という構図を思い連想しやすいのかも。
その意味で、「そのコンビニにおでんが売っている」の方が、違和感が小さい気がする。


元エントリの種明かし記事(Life is beautiful: 日本語うんちく:「そこのコンビニでおでんが売っている」)の追記に、「おでんが売っている」的表現についての考察が紹介されている。「売られている」のまどろっこしさもあって、「おでんが売っている」という言い方は、今よりもっと一般的になるんだろうな。


っていうか、一番まどろっこしいのはオレの説明…